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敷かれたレールの上で。

2015.09.06 Sun

道路が整備されている日本では大きな道に従っていけば迷うことなく目的地へ着ける。

レールは敷かれているから。


でも一度脇道へ逸れてしまうと立体道路になっていたり復帰するのがなかなか難しかったりする。

でもごちゃごちゃしたところを迷いこんだりしていると新しい発見があったりして大きな道では得られないものもある。

人生も同じように感じる、敷かれたレールの上に乗っていればスムーズにいろんな事が用意されているかもしれない。でも脇道へ逸れて苦労して何かを得る事は何事にも変えがたい経験だ。それが本線に戻ったときに役に立つ事が多いに違いない。

大きな流れでまとまっていくような現代ですが、その中だけにいてはつまづいたときに戻る事が容易ではない、そんな気がします。


経済においても最近はお店の閉店を見かける事が多い。コンビニや喫茶店、時代の流れの中で生存競争に敗れたものが淘汰されていく。

大手の洗練されたもので統一化されていく。多種多様なものが消えていく危うさはないだろうか。
危うさよりも現時点で感じるのは寂しさか…

天下統一を果たした徳川幕府の将軍家康公が没して400の節目の年。

引退した家康が安住の地に選んだのが静岡の駿府城。お城自体は残っていないけれど石垣や門などに囲まれた広大な城跡公園はその歴史を偲ばせてくれました。


今年は高校野球も100年の節目の年、そして戦後70年、他にもいろいろと節目の年であり何か特別な意味合いを持っているような気がします。

新しい時代が拓けるか、そんな期待もありますが、9月以降何か起きるようなそんな不安が入り混じった心境です。
個人的にもいろんな大きな事が起こっている、2015年はそんな年です。

江戸幕府は200年あまり続きましたが、ひとつの規格で統一して人を治めるのはムリがあったのか反乱分子により崩壊しました。

ユーロのギリシャの件を見てもそうですが、人間を一定の規格に当てはめて統治することは不可能だと思います。


個性や民族性をお互いに受け入れつつひとつにまとまった世界を作るには、人間それぞれに共通に持っている人間の本質に至る必要があるのではないでしょうか?

違いを否定するのでなく認めることは難しい事。違うと言うことがどんなに素晴らしい事なのかの理解なくしては受け入れられない。

違いを否定することのおもしろさがわかる。そして違っていていいんだと言う理解。


それにしても現代日本の礎を作った徳川家康は偉大だと最近つくづく実感します。

日本人による日本人のための政治が行われていた最後の時代と思われる江戸時代から時は流れ、永遠に続く平和な世界を求めたであろう家康の心を継いでいかねばならないと思う。

戦争が終わりまだ70年しか経っていない今の世の中は江戸時代の200年と比べたらまだ先は長い。

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