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キーシンの音色の秘密

2011.10.30 Sun

10月の27日、待ちに待ったエフゲニー・キーシンのピアノリサイタルを聴きに愛知県芸術劇場へ行ってきました。

キーシンのリサイタルは20代前半の頃、勤めていた会社で先輩だったいちやんさんに連れられて行ったのがその出会いでした。

初めて聴いたときからあまりに衝撃的で以来10年あまり余裕のあるときは足を運んできました。

チケット代はアホみたいに高いのですが、毎回それを満足させる以上のものがありほんとうにきてよかったと思わせるピアニストのひとりです。


いつもはB席などをとったりしてたのですが、今回はこの日のためにとがんばって貯めA席をゲット。とてもS席までは手が出ませんが早めに予約したため下手側の正面よりやや斜めの位置を取れました。S席いつかはと思っています。

海外ではオペラやコンサート等、有名どころが信じらないくらい安い値段で買えたりするのですがこれはお国がらによるもので日本も文化的なことにもっとバックアップがあればと思います。そしたらたくさんの人に素晴らしい演奏に出会うチャンスがあるのにと高いチケットを見てはいつも思うのです。


とその話は置いといて、本題のキーシンですが今回特にいろいろと思うことがありました。



と言うのも若い頃に出会ったあのキーシンの比類なき音色の秘密について知る機会が今年はあったからです。


芸術劇場の3階席の隅々まで響きわたるあの音色。スタインウェイのピアノを鳴らしきるあのタッチ。

一体あの奥深いフォルテと繊細過ぎるくらいのピアノはいかにして出てくるのかみなが知りたがるところではないかと思います。


私も調律師と存在からその音色に魅了されその秘密を知ろうと追い続けてきました。調律をするうえでの目指す先はいつもその音色がありました。


あの音色がスタインウェイピアノにしか出すことができない音色であることはわかるのですが、誰もが弾いても出る音色ではない。いくつものコンサートへ足を運んでもそのようなピアニストは限られていると言うことは明らかでした。

※スタインウェイのピアノは最高のピアノだが、好き嫌いは別である。ホールでの演奏での客観的な事実ではこれ以上ないピアノと言う意味。野球で言えばジャイアンツが王道なのはわかるが、ドラゴンズが好きであると言う感覚にも通じる。誤解のないように記すが私はスタインウェイ至上主義者ではない。



そのように思っていたときに昨年あたりから一部のピアノ仲間で話題にのぼっていた”ロシア奏法”に出会うことができたのです。

このロシア奏法”こそがキーシンの音色に深く関わっていることを知り、あの完成されたピアノ奏法を解き明かす手がかりになりました。



現在の日本ではこのロシア奏法と言うスタイルは主流ではありません。私もピアノレッスンを受けていたときにそのような名称はおろか、その奏法について聞いたことは一度もなかったです。

いわゆるドイツ的な伝統に根ざした奏法と言うものが日本のピアノ教育の主流を占めているとのこと。

私はピアノの流派や奏法については詳しくないので聞いたことしかわからないのですが、世界にはそのような異なる流派がありどの先生につくかでその演奏法も変わってくるようです。



そのなかでもその”ロシア奏法”は現代ピアノに最もマッチする弾き方であると思われます。

堅牢なボディとペダル機能が可能にした豊かな響きを持つ現代ピアノの特性に合わせ、指や手に負担をかけず合理的かつ無理のない演奏ができるのです。


私の推測するに指を一本、一本独立させて指の筋肉を使って弾くドイツ的な弾き方では昔のチェンバロやクラヴィコードのような鍵盤の軽い古典楽器では軽快に弾けて良いのですが、現代の複雑なアクションを持つピアノでは長時間弾き続けることが困難であると思われます。

そういった意味でピアノから発せられる響きを聴いて音色を作るロシア奏法ではダンパーペダルを効果的に使うことにより、構造上ダンパーの重みが軽減され指に過度な負担をかけず弾くことができます。

バッハなどの古典をダンパーペダルを踏まずに弾くなどすることが広く認知されているドイツ的な弾き方では指の筋肉がよほどついていないと弾けなく、筋肉が付いていればいたで響きを殺す音になりがち。そしていつかは手や指を傷めることにつながるのかもしれません。


私自身もバッハはペダルなしで弾きなさいと教えられましたが、大人になって弾き始めたへっぽこピアノ弾きではどだい無理な話で一定の力で弾き続けることは困難で挫折感を味わったことを覚えています。


そのようなここ日本ではあまり認知されていないロシア奏法の伝授に努めている先生と知り合う縁があり、その一端だけでも触れられていることは思いがけない喜びなのです。


井戸の中にいるカエルはそこだけが世界の全てと思ってしまう。でもそこから出ることができれば果てしない世界が広がっていることに気付く。

そのような出会いでもありました。



さてそのような奏法に根ざした音色を持つピアニストキーシンですが、今回も期待を裏切らない演奏でした。

毎回思うのですが、リサイタルが始まり舞台に現れるとおじきを済ますとすぐに弾き始めます。イスの位置を何回も直したり、指の位置を確認したり、気持ちを落ち着かせたりと言うことはありません。

なのですぐに演奏にひきこまれるかと言うと私はそうではありません。一曲目などはならし運転なのかなと思わされます。

もちろんそれでも素晴らしいのですが、会場もまだざわつき感がありみなあまり集中できていないのを感じます。キーシンには迷いがまったくないのですが聴衆はさて今回はどうなんだろうと言う感じで聴いているのだと思います。少なくとも私はそうです。




オールリストプログラムの1曲目は”超絶技巧練習曲第9番、回想”

比較的ゆったりとした感じで響きを確かめているかのようでした。



そして2曲目、本題のピアノソナタロ短調。

このソナタは30分近くも切れ目なく演奏する長い曲で、これまでCDなどで何回も聴いているものの途中で集中力が切れどうでもよくなることが多くなるという作品(苦笑


ソナタと言うとおり同じような主題が何回も出てくるのですが、それがひとつの楽章に一貫されていると言う変わった特徴がある曲。
楽曲に対してそれほど詳しくはないのでへたなことは言えないですが、とにかく今回は最後まで集中力が切れることがなかったのはもちろんのこと、とにかく感動、感動でした。


キーシンの演奏は楽曲について、”この曲ってこういう構成になっていてこの音はこういう意味を持っていたんだ”と言うことを納得させられるのです。

リストの曲は派手で無駄な音が多いと言われることが多いのですが、キーシンのリストはひとつひとつの細かい音に至るまで無駄なものはなにひとつないんだと思わされます。

ピアノ本体の奥底から鳴り響く地球を震わせるような低音のフォルテ、それに乗っかるきら星や小鳥のさえずりを思わせる高音の繊細なピアノ。

それらを繰り返し目指すクライマックスへ、核心へ向かっていく。キーシンにはもちろんそれは見えているが聴衆はただただ圧倒され聴き惚れている。


そしてピアノ本来の音もだんだんと出てきて楽曲の頂点へ向けて加速していき頂上へ登りつめる。心が踊らされ、興奮し・・・  ああ、またしてやられたと思うのです。



ロ短調ソナタがひとつの長大な物語で、その喜びや悲しみに満ちた壮大な物語を聞いたあとのような満足感で満たされるのです。




キーシンの魅力はなんだろうと思ったときにその楽曲が持つ本質を見事に表現していると言う点があると思います。

先日、カワイでのロシアピアニズムレクチャーを聞いたとき、”キーシンより魅力的な音楽を演奏するピアニストは他にいるけれど、ピアノから出る音色の響きをとらえ演奏する点において若い神童と呼ばれたときよりずば抜けていたと言うことに置いて最高のピアニストである”と言うようなことを聞きました。

これはまさに私が感じていたことであり、そこでなにか自分のなかの疑問がとけたような気がしました。


どのような超絶的な楽曲でもなんなく弾きこなしてしまうキーシンはある意味機械的であるとか、感情のない演奏であると思う人もいるかもしれない。

しかし、演奏者の余分な感情を排し楽器から出る音に全てをゆだね、楽器が出す音が自然と音楽を作っていくというスタイルで見た点においては彼は究極のところにいるのだろうと思う。



これは調律の形の私の理想である、”調律師の存在が消え楽器そのものの音を引き出す”と言う考えに一致する。

人間なのでどうしてもその意思や感情が音に入りこんでしまうのであるけど、それを極力廃しその意思を込めるのは演奏者であると言う考え。

なので余分な感情のこもった音はその演奏者の表現を邪魔することになると考える。楽器が持つ本来の音色を引き出すのが調律師の目指すべき究極のところだと考えているのです。



調律の世界では必要なものだと考えているのですが、演奏の世界でもクラシックではあり得るだと最近感じるのです。

演奏者の感情や意図を極力排し、リストなどの作曲家が表現したかったことをそのまま現代のピアノで表現する。それはすべて楽譜に書いてあるのでそのとおり演奏すればそれが実現できる、と。

クラシック音楽が再現芸術と呼ばれる所以のところ。その極み。


その”再現芸術”の最高の極みの演奏がキーシンなのではないかと思う。


一見、過剰に思えるようなフォルテやピアノは演奏者の意図のようにも思えたりするけれど、奇をてらった部分はどこにもなくまさに正当的な楽譜に忠実な演奏と言える。

演奏者がそこにいないかのような感覚、作曲家が時空を超えて直接語りかけているようなそんな感覚になる。


なのでどんなに長時間聴いていてもくどくなく飽きがこない。

ぱっと聴き栄えがし耳を惹きつけられるような変わった演奏は最初はいい。そのうち甘ったるいケーキを何個も食べているような感覚に陥る。


キーシンの演奏はBGMのような何時間も聴き流しできるような音楽ではなく、時には過度な甘さも感じられる音楽であるにも関わらず、飽きがこない。


ともすれば楽譜に忠実な演奏は個性のないつまらない演奏と切り捨てられるおそれがある。キーシンの場合それを補えるあまりある音色があるから聴けるのかもしれない。だからCDよりも生演奏のキーシンの演奏のが格段に惹きつけられる。

ピアノそのものの基音ではないところ、倍音で音楽を作っているから。


失礼な話、音色に対しての感覚があまりないと退屈な演奏なのかもしれない。よく指が動き、完璧に演奏する、すごいねー、程度なのかもしれない。




後半になり更に音色に磨きがかかったように感じた。

それはピアノが鳴ってきたのか、ホールがピアノの響きになじんできたのか、後半になり自分の耳が研ぎ澄まされてきたのか、キーシンが弾き方を変えたからなのか、わからなかったけれどぽーーんっとホール全体に響きわたるなんとも言えないあの包まれるような音色に音楽の神が舞い降りたと舞台上のキーシンに感じられる場面がありました。

次元が違うと言ったらよいのか。



詩的で宗教的な調べより”葬送”

巡礼の年第1年”スイス”より”オーベルマンの谷”

巡礼の年第2年”ヴェネツィアとナポリ”より

ゴンドラを漕ぐ女、カンツォーネ、タランテラ



以前はアンコールだけで本番のプログラムに匹敵するような曲数を弾いたりしていたこともあったけれどほんとうにそのままずっとずっと聴いていたい感覚になる。


みな笑顔で幸せに溢れた顔で腕をあげ、立ち上がり、懸命に拍手を送り続ける。

お世辞や形だけの拍手じゃない心からの拍手を手が痛くなってもし続ける。


名古屋のコンサートでスタンディングやブラボーの声が出続けるのコンサートを私は他に知らない。

帰らせてたまるか、もっと弾いてくださいキーシン、とみなが拍手に願いをこめるのです。




愛の夢 第3番

ウィーンの夜会 第6番

献呈



ロシア奏法についてはさわりを聞いた程度なので詳しいことはわからないのですが、キーシンの弾き方を見てこれまでは気づかなかった独特な弾き方についても今回興味深かったです。

指だけでなく手や腕も使い合理的な力の入れ方で弾く。手の角度が違うためいわゆるドイツ式の弾き方よりも手自体が大きくみえる。よって指だけでなく手で支えているのがよくわかる。


フォルテを鍵盤を思いっきり押さえずに弾いたあとピアノから離している。

上半身を前後に揺らして弾くのも体重移動のためなのかなと。

合っているかはわからないけど、たしかにこれまで何か感じていたいくつかの違和感が少し明らかになってきたように思う。


クラシックと言うととかく古い伝統を守るのがよしとされる傾向がある。昔の楽器ならそれにあった奏法があった。

重くなった現代のピアノの鍵盤を無理やり力でねじ伏せようとする時代錯誤的な弾き方が未だ日本では主流となっていると言う。

それはクラシックが昔のままの姿をよしとする背景があるからかもしれない。楽器は劇的に変化しているにも関わらず・・


それを楽器メーカーが主体として勧めてきた”日本のピアノ文化”と言えばそうなのかもしれない。奏法だって他にもあり作曲家によっては合うものがあるのだろう。そのあたりについてはまったくの専門外だしまだわからない。

しかし響きを聴かずしてただただしっかりと鍵盤を押さえるような弾き方で響きを殺したような音楽では、少なくとも”クラシック”と言う分野の演奏においては感動することが私はないに等しい。


生真面目な日本人にはそれは合っているのかもしれない。僕の感覚は日本人のそれとは違うものがあると思う。日本のなかでは相当変わってると思うので。

でもそういう日本人的な感覚も含めてミスタッチを気にする人、音色にうるさい人、音楽の解釈に物申す人、等々演奏を聞くみなが納得するのが”キーシンの演奏”なのかもしれない。


”芸術家”と言うよりも”ピアニスト”と言う言葉がしっくりくる。

自分自身を表現する芸術家と呼ばれる演奏者は他にもたくさんいる。音楽的に魅力的な演奏をする人はたくさんいる。何もキーシンが最高と言うわけではない。

でもここまで感動させられるのは何かある。


ピアノと言う楽器がこの世に登場してから300年近く、時代とともに進化し続けもうこれ以上はないと言うところまできている。いやもうそのピークは過ぎているのかもしれない。

次はまったく別のものに進化するしかない。今のピアノはすでに完成されたものになっている。

その完成された現代ピアノの最高の奏者のひとりであるエフゲニー・キーシンはピアノの長い歴史の中の極みの存在なのだろう。

ピアノやその音楽はキーシンやロシア奏法の演奏者たちにより極められすでに完結している。




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コメント

*

キーシン 一度も行った事が有りません
行って見たくなりました。

今度ロシア奏法 教えて下さいね!

*DVDとかCDはそもそもレプリカだからね♪

生に勝てるはずないよね~
別の付加価値や装飾をして、やっと売ってるんだと思う。

そこまで言われたら、来年はF-1よりもS席で一緒に行こまいv-218

*Re: タイトルなし

えみさん、今度きたときはご一緒しましょう!

ロシア奏法についてはかじりだけで教えるほどではまったくないです。でもどんなものかはお話したいです(^^

*Re: DVDとかCDはそもそもレプリカだからね♪

しんちろさん、最近はおまけを付けてまで売らないといけないありさまですもんね。

youtubeなどのおかげでCDは売れなくなりましたが、広く音楽を知れるきっかけになりもっとよく聴きたい人はコンサートへ足を運ぶのだと思います。

キーシンいきませう! しかしF1のサウンドも捨てがたいです~

*

はじめまして。
キーシンって、いつも座ったらいきなり弾き始めるので、
聴く方の心の準備がwと思って検索した所でした。
天才少年が成長して、天才に。同時代に生きる事が
できてうれしいです。

*Re:

コメントいただきありがとうございます!
天才少年、神童と呼ばれたキーシン少年もいまや巨匠の風格漂う大ピアニストとなりましたね。

コンサートでは本番直前までピアノを弾き込んで準備しているらしく、暖めた指を少しでも早く弾くようにすぐに演奏にかかるのかもしれないですね。

毎回迷いなくピアノに向かう姿が印象的です。

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