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夢と現実との境

2019.02.23 Sat

最近思う事をつらづらと…

日々の生活に追われて夢や希望をどこかに置き忘れている人が多い現代のなかで純粋に芸術を追い求めている姿に出会えるとなんとも清々しくエネルギーをもらえる。

むろん妥協なき芸術の世界はごまかしの効かない厳しいもので、ある意味お気楽なのは現実の社会生活のほうかもしれない。


しかし現代人はどうしてもこうも心の余裕がなくなっているのだろうか、と思う事がある。
お金を持っていることやその身が忙しい事と心の余裕は必ずしもイコールではない。

漠然とした、いや半分はどこか確信のある将来への不安がそうさせるのだろうか。

子どもやパートナー、ペットなどへの虐待などは問題外ではあるけれど、精神的にそこまで病んでいなくとも何か周りに厳しく必要以上のものを求めようとするのは年々厳しさを増す社会情勢がそうさせているのか。

特に親が子どもに必要以上に教育を施そうとするのは大きな過ちのひとつだと最近思う。

同じ親として子どもを少しでも将来社会のなかで良いポジションへと言う気持ちはわからなくもない。

しかし早い段階からやりかたを覚えさせる事は同時に想像力の欠如へと繋がり発展性を阻害する要因となる。
ピアノにおいても同様の事が言えて、いやむしろピアノは表現するものであるからそれが顕著に出る。


教えられる事は優秀にできてもそれ以上の事が出てこない。


将来社会に出てもロボットのようにプログラミングされた事を正確にこなせる仕事しかできないようではロボットには所詮かなわない。ようは使えない人間になるだけだ。

それに子どもの成長段階で得られる精神的な成長を、遊びや人間関係から学ぶことなく大人になると精神に異常をきたすパターンが多いように思う。

殺人や奇異な行動、変態性や暴力、それらに繋がるのは子どもの頃にするべき事をしてこなかった結果も強く反映していると思う。

子どもが最もやらないといけない事は〝遊び〝だ。遊びほど得られるものが多いものはない。その機会を奪ってしまったら、その無限の可能性は育たない。


しかし結果と言うのは往々にして思ったとおりにはならないのであって、世の中に名前を残す人には当てはまらないと感じる。

かの偉大な音楽家のベートーヴェンは幼少期に父親から厳しく育てられ時には殴られながらも音楽の道をやらされた。
しかし彼はそのなかから崇高な芸術の世界へとたどり着いた。彼の才能と精神性の高さがそうさせたのだろう。

しかしそれはどこかで道が違えば殺人鬼になるか自滅するかだったと思うし、その意味では犯罪者と芸術家は紙一重だと思う。


話を戻すと現代社会ではほとんどの親が子どもに芸術家になって欲しいとは思ってはいない。にも関わらず芸術家になるか殺人鬼になるかと言うようなくらいのプレッシャーを子どもに課しているパターンが多い。

もしまっとうに普通に社会でやっていって欲しいのならもっと持続的で確実性のあるやりかたをすべきだ。

ベートーヴェンの甥のカールはベートーヴェンに厳しく指導されたため最後は自殺未遂までいってしまった。
厳しくされ追い込まれた結果誰もが大成するわけではない。そこには才能と言うものが必要となる。
ベートーヴェンにはできてもカールにはできなかった、それは芸術家としての才能の違いが大きい。音楽家として大成するかどうかは幼少期の演奏を少し聴けばわかる。

それなのにベートーヴェンがカールにこだわったのは血の繋がりがあったからだろう。

例え我が子であっても人格の違う人間として尊重すべきであって親の私物では決してない。

親のこだわりを捨ててその子の才能を伸ばす事ができるかどうか、それがいわゆる学校の勉強以外の事であってもそれをできるかどうか、そこには心の余裕と高い人間性が必要となるのは間違いない。

子どもの伸びようとする無限の芽を摘み取ってしまうのは無知な親だ。

親がやる事は自分の頑張っている姿を見せることであって、子どもにいくら言ってもやらないのは親が大した事ないからだ。

所詮スズメの子はスズメであるので自分が通ってきたやりかた、思考を変えない限りは子どもには伝わらないし、口先だけでは響かない…


最近よく夢を見る。

起きてその夢の内容を覚えている事はほとんどないけれど悪い内容は少ないように思う。

楽しい夢も悪い夢もそのときはリアルに現実だと錯覚している。そして目覚めると夢だった事に気づく。

今この現実だと思っているこのリアルな世界も夢ではない保証はどこにあるのだろうかと考える。

夢と現実の違いは目覚めるかそうでないか、だろうか。持続性のある現実は夢ではないとするなら持続性のあるうちは夢ではない。

いつか目覚める事があったらそれは夢であったと気付く。

その時間の経過が長いから夢ではないか?

でももしかしたら寝たきりの状態になっていてずっと夢を見ている状態なのかもれない。その夢のなかで夢を見ているのかもしれない。

いや物に触れる感覚がリアルにあるじゃないかと思うけれど、夢のなかでもリアルと感じてしまうのだからやはり目覚める事なくしてはそれを確認することはできない。

それを考えるとどこまでいっても夢のなかの夢であって、誰もこの現実が夢ではないと確実性を持って断言することができない。

リアルな現実などないとも言える。

と言う事は自分が持っているこだわりや偏った思考も夢のなかのことであって失敗や恐怖も目覚めればなーんだ夢だったんだって安心する。

どうせならこの現実が目覚めたときにいい夢だったと思いたい。ですよね?!


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