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02/26のツイートまとめ

2019.02.27 Wed

sarapiano

音の違い考察 https://t.co/ednioTxj0aブログ更新しました。
02-26 13:18

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音の違い考察

2019.02.26 Tue

昨日調律へお伺いした保育園、今回で3年目だけれど気になる事がある。

市内の保育所をまわって何台かやるなかで、かたや音があまり鳴らない、ピン味は普通、モコモコな音、かたや音が鳴りまくり、渋滞ピン、派手な音のグランドピアノがある。

2台とも同じヤマハのG2Eで納入時期は同じ。
しかも建物のかたちまで一緒で置いてある場所も一緒、メンテナンスをしてきた時期も一緒で調律師も一緒(計10人くらいは関わっているけれど毎年それぞれ同じ調律師)

なのに明らかに2台は別物のピアノになってしまっている。
ここまでくると元々の個体差が大きいのだろうけど、精密にピアノを造る事にかけて世界一のヤマハの工場で作られたものであっても違いが出てしまっている。それが年数経つとこうも差が出てくるのかと興味深いものがありました。

これまで違う条件に置かれている同じ機種を比べることは多々ありましたが、同じ条件下での比較はなかったと思うのでよい経験となりました。


最近調律師の映画や漫画、テレビのドキュメンタリーなどで一般的にも調律師の存在が一般的になったからなのか公共の施設で調律していると声をかけられる事が増えた気がします。
昨日も年配の男性のお掃除にきていたかたに映画で見たけど調律の仕事を見たのは初めてだと話しかけられました。
全国で何人いるのか?とか聞かれて、想定外の質問に答えられなかったです…

だいたい3.4千人くらいみたいですが、もっと多いと思ってました。調律学んだ事あると言う人を含めると1万人は超えそうですが、そのなかで毎日のように活動したいるのは1千人くらいなのかなと思います。

どんな業界でもそうですが、メディアの影響でこの職業はこうだと形作られるところはありますが、私自身はこれまで紹介されてきたどの調律師の姿も理想とは思っていないです。それぞれが追い求める形があってよいと思うし自分自身が納得するのが一番だと思います。


さて音の違いの話に戻るのですが、最近録音について考えさせられる事が多々あります。

特にアコースティックの音を録音して聴く事に限界を感じられずにはいられません。

時にはまったく別物と感じるときもあり、録音だけで判断してしまうのは違うなと感じてます。

近年の電子系の音や元々電気を使っているものは相性としては良いので再現性は高そうですが、それでもライヴとは全然違うと言わざるを得ません。

どんな機材で聞くのかが重要と思いますがそれによって大きく左右されてしまいます。

前に真空管アンプでグールドのベートーヴェンを聴いたときにその音の厚みに驚いたのを覚えてます。
最近はLPでも聴くようにしているのですが、やはり当然ながら生演奏が一番です。

なので一度生演奏を聴いてしまえばその記憶を頼りにCDなども効果的に聴く事ができます。この環境だとこう聴こえるけどほんとはこういう感じだよね、と言うふうに。

その意味では録音は怖いと言うか、それだけを聞いて判断されてしまう危険性があると言う事です。

録音映えする演奏とそうでない演奏があると思っていて、例えば録音で評価されやすいのは演奏の解釈が音符上でハッキリとしたものであったり演奏自体が個性的な演奏、極端な例ではグレングールドとかランランとかわかりやすく言えばインパクトのあるもの。

逆に伝わりにくいのは音色の美しさに重きを置いた演奏などであって、その重要な要素である倍音が録音で伝わらないとどこかスケールの小さな演奏と感じてしまう。
これらの演奏は生演奏を聴かないと良さが伝わりにくい。

有名どころではエフゲニーキーシンがそれにあたると思っていて、あのコンサートでの聴衆の熱狂的なまでの興奮を与える要素がCDでは伝わってこない。
録音だとなにか整然としたたわいもない演奏に聴こえるのは私だけだろうか?

以前にキーシンが好きでコンサートも毎回行っていると言うかたとお話したときにその話をしたら自分とは意見が違っていた。
それは再生装置がよいからなのか、コンサートへ行っているのでCDで聴いたときも脳内で増幅されて聴いているのでは?と思ったのですが…

いずれにしてもたしかな耳がないのにCDの録音やましてやyoutubeなどでクラシックの演奏を判断してしまうのは危険だなと感じます。

私自身も録音でこの人は実際にはこんなものかな、とか足し算引き算して聴いたりしてますが完全に判断できるわけではないのでなるべく生演奏やいろいろなホールでの響きの経験を増やしていきたいと思ってます。


02/23のツイートまとめ

2019.02.24 Sun

sarapiano

夢と現実との境 https://t.co/j6WInkN2MAブログを更新しました。
02-23 22:20

猫の日の昨日はお客さんところの2匹のワンちゃんとたわむれ、小1の女の子とポケモン話。今日になってようやくヴォイオリンの先生のところの猫ちゃんに癒され満足。子どももワンちゃんもほんとにかわいいけどやはり猫ちゃんが欲しいこの頃。そろそろかなぁ(・∀・)
02-23 21:38

今日はお仕事の合間に先生の出演されるこちらのコンサートへ。氷上のメロディ〜フィギュアスケート名曲集〜 ホールに響きわたる素晴らしい唄声。聞き馴染みのあるプログラムで楽しめました♩ https://t.co/XAKhRKzJhj
02-23 16:14

大野眞嗣先生、音楽誌「音遊人」春号掲載著書 響きに革命を起こすロシアピアニズム全国書店、アマゾン等にてベストセラー発売中 https://t.co/J7eWBiBz13
02-23 15:53

夢と現実との境

2019.02.23 Sat

最近思う事をつらづらと…

日々の生活に追われて夢や希望をどこかに置き忘れている人が多い現代のなかで純粋に芸術を追い求めている姿に出会えるとなんとも清々しくエネルギーをもらえる。

むろん妥協なき芸術の世界はごまかしの効かない厳しいもので、ある意味お気楽なのは現実の社会生活のほうかもしれない。


しかし現代人はどうしてもこうも心の余裕がなくなっているのだろうか、と思う事がある。
お金を持っていることやその身が忙しい事と心の余裕は必ずしもイコールではない。

漠然とした、いや半分はどこか確信のある将来への不安がそうさせるのだろうか。

子どもやパートナー、ペットなどへの虐待などは問題外ではあるけれど、精神的にそこまで病んでいなくとも何か周りに厳しく必要以上のものを求めようとするのは年々厳しさを増す社会情勢がそうさせているのか。

特に親が子どもに必要以上に教育を施そうとするのは大きな過ちのひとつだと最近思う。

同じ親として子どもを少しでも将来社会のなかで良いポジションへと言う気持ちはわからなくもない。

しかし早い段階からやりかたを覚えさせる事は同時に想像力の欠如へと繋がり発展性を阻害する要因となる。
ピアノにおいても同様の事が言えて、いやむしろピアノは表現するものであるからそれが顕著に出る。


教えられる事は優秀にできてもそれ以上の事が出てこない。


将来社会に出てもロボットのようにプログラミングされた事を正確にこなせる仕事しかできないようではロボットには所詮かなわない。ようは使えない人間になるだけだ。

それに子どもの成長段階で得られる精神的な成長を、遊びや人間関係から学ぶことなく大人になると精神に異常をきたすパターンが多いように思う。

殺人や奇異な行動、変態性や暴力、それらに繋がるのは子どもの頃にするべき事をしてこなかった結果も強く反映していると思う。

子どもが最もやらないといけない事は〝遊び〝だ。遊びほど得られるものが多いものはない。その機会を奪ってしまったら、その無限の可能性は育たない。


しかし結果と言うのは往々にして思ったとおりにはならないのであって、世の中に名前を残す人には当てはまらないと感じる。

かの偉大な音楽家のベートーヴェンは幼少期に父親から厳しく育てられ時には殴られながらも音楽の道をやらされた。
しかし彼はそのなかから崇高な芸術の世界へとたどり着いた。彼の才能と精神性の高さがそうさせたのだろう。

しかしそれはどこかで道が違えば殺人鬼になるか自滅するかだったと思うし、その意味では犯罪者と芸術家は紙一重だと思う。


話を戻すと現代社会ではほとんどの親が子どもに芸術家になって欲しいとは思ってはいない。にも関わらず芸術家になるか殺人鬼になるかと言うようなくらいのプレッシャーを子どもに課しているパターンが多い。

もしまっとうに普通に社会でやっていって欲しいのならもっと持続的で確実性のあるやりかたをすべきだ。

ベートーヴェンの甥のカールはベートーヴェンに厳しく指導されたため最後は自殺未遂までいってしまった。
厳しくされ追い込まれた結果誰もが大成するわけではない。そこには才能と言うものが必要となる。
ベートーヴェンにはできてもカールにはできなかった、それは芸術家としての才能の違いが大きい。音楽家として大成するかどうかは幼少期の演奏を少し聴けばわかる。

それなのにベートーヴェンがカールにこだわったのは血の繋がりがあったからだろう。

例え我が子であっても人格の違う人間として尊重すべきであって親の私物では決してない。

親のこだわりを捨ててその子の才能を伸ばす事ができるかどうか、それがいわゆる学校の勉強以外の事であってもそれをできるかどうか、そこには心の余裕と高い人間性が必要となるのは間違いない。

子どもの伸びようとする無限の芽を摘み取ってしまうのは無知な親だ。

親がやる事は自分の頑張っている姿を見せることであって、子どもにいくら言ってもやらないのは親が大した事ないからだ。

所詮スズメの子はスズメであるので自分が通ってきたやりかた、思考を変えない限りは子どもには伝わらないし、口先だけでは響かない…


最近よく夢を見る。

起きてその夢の内容を覚えている事はほとんどないけれど悪い内容は少ないように思う。

楽しい夢も悪い夢もそのときはリアルに現実だと錯覚している。そして目覚めると夢だった事に気づく。

今この現実だと思っているこのリアルな世界も夢ではない保証はどこにあるのだろうかと考える。

夢と現実の違いは目覚めるかそうでないか、だろうか。持続性のある現実は夢ではないとするなら持続性のあるうちは夢ではない。

いつか目覚める事があったらそれは夢であったと気付く。

その時間の経過が長いから夢ではないか?

でももしかしたら寝たきりの状態になっていてずっと夢を見ている状態なのかもれない。その夢のなかで夢を見ているのかもしれない。

いや物に触れる感覚がリアルにあるじゃないかと思うけれど、夢のなかでもリアルと感じてしまうのだからやはり目覚める事なくしてはそれを確認することはできない。

それを考えるとどこまでいっても夢のなかの夢であって、誰もこの現実が夢ではないと確実性を持って断言することができない。

リアルな現実などないとも言える。

と言う事は自分が持っているこだわりや偏った思考も夢のなかのことであって失敗や恐怖も目覚めればなーんだ夢だったんだって安心する。

どうせならこの現実が目覚めたときにいい夢だったと思いたい。ですよね?!


02/09のツイートまとめ

2019.02.10 Sun

sarapiano

相変わらずピアノがあまり弾けておらずですがそろそろ春からの発表会シーズンに向けて本格的に選曲をしなければなりません。常に側には音楽を、楽しみながらやっていきたいです。
02-09 23:29

待ちに待っていましたが先日無事届き少しずつ読み進めています。頷ける事ばかりでサクサク読めますが一語一語に力を、重みを感じます。気が付けば1月が終わり2月、毎日たくさんのかたにお会いできる中、書類仕事に追われるなか技術を磨く事に注力しています。 https://t.co/odxOFRTzW5
02-09 23:28