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アンドレイ・ガヴリーロフ ピアノリサイタル

2019.07.07 Sun

アンドレイ・ガヴリーロフ、ピアノリサイタル
宗次ホールにて聴いてきました。
なかなか言葉にするのが難しいほどの衝撃でした。
前から事あるごとにガヴリーロフさんと親交のある大野眞嗣先生より氏のロシアピアニズムについてお聞きしていたのですが、それが一夜にして理解できました。
日本でのリサイタルが20年ぶりとの事でもちろん生で聴いた事はなく、ずいぶん前にN響とコンチェルトを弾いていた映像が頭に残ってはいるものの演奏に触れる機会がありませんでした。
その時はロシアピアニズムを知る前でずいぶん変わった弾きかたをするピアニストだなぁというくらいでしたが…
宗次ホールでここまで多彩な音を聴かせる事ができるのかと思うのと同時にこれが白川や芸文だったら更にとんでもない事になっていたかもしれないと想像。
東京や大阪でのリサイタルが好評だった事が情報としてあったので期待通りでしたが、今回は2階で聴かないで良かったのかなと思いました。
特に指定しなかったので1階席になったのですが、2階ではいつも聴いていて丁度良いのが今回はホールの性能を超えて響き過ぎてしまっていたもしれない。
これこそピアニスト、まさにホンモノが聴けたと感じました。芸術とはこういうものだという瞬間に立ち会えたと思います。
それにしてもピアノが真に鳴りまくっていて、ビリビリ雑音がしてどこかが鳴ってました。気になってしょうがなかったのですがそれも覆い隠すくらいの音が出て途中からどうでもよくなりました。
ピアノが壊れるんじゃないかと思いましたが(実際に以前ハンマーが折れたらしい)、叩きつけているわけではないのでピアノ本体へのダメージはそこまでないのではと思います。
アンコールのショパンノクターン、鍵盤の底の浅いところを狙って出すあの音色をキープし続けるのはやはり圧巻でした。
大役を果たした調律のコンサートサービス光田氏にもブラヴォーです。
気付いたらガヴリーロフさんの世界観にすっかり引き込まれ、個性的でありながらも作品を壊さずリズムが変則ながらもそれを感じさせず実に自然で、それでいて自由に内面から出るその感性と作品とが融合した世界、そしてそのお人柄が伝わる演奏でした。
とてもチャーミングながらピアノへ向かったときの時に鬼気迫る表情との対比がまさに様々な表情を音で表現することに繋がっていると感じました。
ピアノ仲間もみえていて、関東や関西、もっと遠くから見えていたかたもみえて、ここ名古屋にガヴリーロフさんがきてくれた事は望外の喜び。
CD即完売で焦りましたが、ピアノ仲間の計らいでなんとかサイン会までこぎつけ大野先生のお名前を出しご挨拶したら喜んでられました!


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子ども対象のコンサート日記とかぶちゃん

2014.07.22 Tue

先日こどもCOLORの音楽会と言うコンサートへ行ってきました。



シリーズで開催されていて、今回は蒲郡市が会場でした。この日は蒲郡の花火大会でしたがお昼間の開催と言う事もあり子ども2人ゆうまとふーちゃんを連れて向かいました。

会場は生きがいセンターと言う蒲郡駅から近いところでホールではないですが天井が高く適度な広さのお部屋にカワイグランドCA70が鎮座していました。

直接触れたわけではないので確たることは言えないですが聴いた感じではとても心地よい響きでした。空間として捉えた音も適度で良いホールに感じました。


プログラムはクラシックの聴きやすいものからジャズアレンジのもの、子どもの曲など、踊りや手拍子を加えセンターに用意されたスペースでリズムに合わせて踊ったり。
普段から歌や踊りの好きな下の子ふーちゃんは嬉しそうにはしゃいでました。上の子ゆうまは朝からのドライブで集中力がなくなっていましたがしっかりと聴いていました。




途中調律師さんによるピアノ内部のレクチャーもあり、同業として興味深く見させていただきました。同業同士と言うのはいろいろな感情もありますが、良いものは良いとして切磋琢磨していけたらと常日頃から思っています。

うちの子たちはこういうときは集中力が続かずふざけたり暴れたり^^;
恥ずかしい限りでしたが、なんとか近くで見せることができました。。


プログラムの最後は最近人気のアナと雪の女王のあのテーマ曲。ヴァイオリンで唄いあげてくれて、弦楽器での感情のこもった演奏がとても良かったです♩

子どもにアコースティックの生演奏を、しかも間近で聴くことができて貴重な機会でした。大きなホールでの演奏会では未就学児の入場お断りの場合が多く、このようなコンサートがもっと増えればと思います。




最近子どもに関われてなかったこともあり一日一緒に過ごせたことがなにより嬉しかったです。

しかも好きな音楽と一緒に。3歳と2歳の子を一緒に連れて行動するのはなかなか大変でしたがとても充実した日となりました。

仕事を中心にいろいろと時間を使うこともあり今はなかなか子どもと過ごすことが困難な日々です。仕事仕事と言うと言い訳になってしまうかもしれませんが、自営は自由に時間が使えるようでなかなか思いどおりにはいかないものだなと実感しています。

最近はTwitterやFacebookなどつぶやきのように短い文章が主体の世の中になっているためおいおい長い文章だなとここまで読まれたかたはそろそろ思われている頃かと思いますがあえて日記で残しておきたいと思い綴りました。

人間子どもの頃の記憶はほとんど残っていないもので、大きくなったときにこんなことがあったと読み返してもらえばとの思いがあります。このブログがいつまであるかはわからないですが、、


このコンサートでピアノを弾かれている清水さんから以前カブトムシをいただいて飼育しているのですが、今回オスのカブトムシをいただけるとのことで子どもたち楽しみにしていました。

無事に受け取ることができ大喜び。



最初3匹いただいて、土の中から出てきたら全部メス。それでも子どもたちは毎日毎日かぶちゃんいるかなとのぞきに行ってました。

そのうち生存競争に負けたのか一匹が弱ってしまいまもなくご臨終。。

ゆうまは動かなくなったカブトムシを見てかぶちゃん電池なくなったかな?と言っていたのですが、一緒に庭に埋めてからはしばらく気にしてお庭でねんねしてると言ってました。

それからは残った二匹順調に夜な夜なブンブン飛び回るほど元気だったのですが、急にオスがきて様子が変わり、さすが大きくて強いオスはエサの取り合いでツノを使い威嚇したりしてました。

それできたその日にすぐに交尾を始めて元気だなと思っていたのですが、、
次の日見たらメスが一匹ひっくり返り虫の息と言った感じになってました。

おやおやどうしたのかな?と思いネットで少し調べてみたら交尾に失敗すると死ぬとか産卵すると死ぬとかいろいろ書いてあるΣ(゚д゚lll)

確たる理由はよくわからないのですがとにかくオスがきてから彼女は弱ってしまった。。

その後子どもと心配して見守っていたのですが、エサも食べないしとにかく動きがない。

かろうじてたまに足がヒクヒク動いているだけ。その状態で2日生きています。

夜な夜なカブトムシを見るのがすっかり日課になってしまった私。


今夜も観察していたら、オスが弱ったメスの下に入り支えている感じになってる。
エサの大好物のゼリーを与えても反応せず。もう一匹がむさぼり喰ってましたが動かず。

一度つがいになったからなのか気遣っているように思えて寄りかかるメスを振り払おうともせずにずっとそばにいました。
カブトムシにも愛情があるのだろうか?と不思議な気分で見てましたが、もう一匹のメスには寄ろうともせずむしろ威嚇してばかりなので、気に入ったメスのほうへ最後まで大丈夫だよと言っているような気がしました(T . T)



いやぁしかしなんだか子どもよりかぶちゃんたちの飼育にハマっているような気がします。いろんな人間関係ならぬカブトムシ関係が見れるようでおもしろかったりします。

なんとか元気になってくれるといいなぁ。





子どもと音楽との出会い

2013.12.02 Mon

今日は朝からピアノ発表会の調律とお手伝い。ディアパソンのグランドピアノ。

70歳くらいのベテラン先生、と言っても定年でお仕事を辞められてから本格的にピアノ教室を始められたのが3年程前。

にも関わらずたくさんの生徒さんで会場はごった返し、120席ほどの椅子を並べたホールは満席。親御さんなどたくさんのかたが見えて、立ち見が出て溢れんばかりの人でした。



社会で引退はしたけれど、何か貢献したいと言う気持ちでやっていると言う先生。その気持ちがいい影響を及ぼしているのかなと思います。
ビジネスもそうですが、稼いでやるぞと躍起になればなるほど空回りします。それよりも相手や周りのためにどれだけのことができるかが重要なんだと思います。

特に今の親さんはハッキリしていて子育てに対してご自分の考えかたがあるので、ピアノもバリバリ専門家を目指すか、たしなみや趣味としてやっていくのかある程度はじめから決めている部分があるのかなと感じます。

そして後者の考えのかたが多い感じなのでなんでもかんでも上を目指して厳しくやっていこうとする先生や楽器店とは温度の差があるように思います。

今回の先生の発表会を聞いていて、生徒さんは男の子も女の子もみんな意欲的で音楽に真剣でしっかりとした演奏をしていたのが印象的でした。
上を目指さないからってだらだらとなんでもよい楽しさではなく、ピアノを弾く楽しさを教えられているように感じました。

それにそれで上達してくれば専門家への道も開けてくると言う感じで無理なく自然な流れでレッスンをされているのだなと。


それで夕方からは中川文化小劇場で行われたジャズコンサートのお手伝い。

JAZZ FOR KIDS IN NAKAGAWA
と言うイベントで、ジャズシンガーのたなかりかさんが子ども向けのジャズコンサートをしてくださいました。



どんなつながりかわからないんですが、音楽仲間に声をかけられてボランティアのお手伝いでひょこひょこ行ってまいりました。
これがとても内容の良いコンサートで、演奏曲の構成とか曲と曲の間のMCだとか勉強になりました。

今回は動物をテーマになじみの曲をジャズアレンジにして聞かせてくれて子どもも退屈せずに聴いてました。ねこふんじゃったなどジャズにするとこんなカッコ良くなるんだって、大人が聴いても楽しめる内容でした。

楽器構成がピアノ、コントラバス、ドラム、のみなのに充分な音の厚みを感じ、ここまでできちゃうんだって思いました。さすがプロ!
お子さんが音楽を好きになるような楽しく夢のあるコンサートでとっても明るい気持ちになりました♩

そんな文化的な一日でした。
私ももっと演奏したいよー



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ジョイントピアノリサイタル豊中

2013.10.21 Mon

大阪の豊中市までピアノ仲間の演奏を聴きに行ってきました。



当初3人の男性ピアニストによるジョイントコンサートの予定でしたが、お一人のかたが身内に不幸があり急遽代役に主宰のピアニスト小川恵子さんが出演されました。

私は出演された2人の男性ピアニストさんがピアノ仲間で日頃からよく交流していることからこの日を楽しみにしていました。

季節外れの台風の影響かで朝から土砂降りの雨でしたが、魚さん夫妻と車でおしゃべりしながら楽しく向かい、大阪へ近付くに連れて小降りになってきました。


会場は蛍池という駅の前のルシオーレホール。
120席あまりの会場にカワイのグランドピアノがスタンバイされていました。




ビルの中にあり中部地方ではあまり見かけないタイプのホール。ホールの音響に関しては率直に言うとデッドな空間でしたがそのぶんハッキリとピアノが出てくる演奏を聴ける理想的な空間。

私はこういった響きのホールが好きです。長時間聴いていても耳が疲れません。最近はやたらとお風呂場みたいに響くホールが多く最初のほうはいいのですが途中でごちそうさま状態になることが多いです。
例えは悪いですが、厚化粧して綺麗に見せているけれどもそのうち飽きがくると言うような感じ。やはり本来の加工されていないピアノの音を聴きたいです。

ほぼ満員のなかプログラムが始まりました。最初に主宰の小川さんからご挨拶。会の趣旨や出演者やプログラムの変更等についてお話しされました。


プログラム

●連弾 純ちゃん-小川さん
J.S.バッハ/G線上のアリア

●ソロ 小川さん
ショパン/ノクターン 嬰ハ短調 遺作

●ソロ いっちゃん
ヤナーチェク/ピアノソナタ「1905年10月1日 街頭にて」第一楽章「予感」

ラフマニノフ/エチュード「音の絵」Op.33-2,8,9

リスト/巡礼の年第二年「イタリア」より「ペトラルカのソネット第104番」

ショパン/ポロネーズ第6番「英雄」

●連弾 純ちゃん、いっちゃん
ブラームス/ハンガリー舞曲第1番、第5番

●ソロ 純ちゃん
ショパン/ノクターン 変ロ短調 Op.9-1

●ソロ 小川さん
ベートーヴェン/ソナタ第14番 嬰ハ短調「月光」Op.27-2

ヒナステラ/アルゼンチン舞曲 Op.2

●いっちゃん、小川さん
フォーレ/組曲「ドリー」より 第1曲「子守歌」

●いっちゃん
ショパン/ノクターン 変ホ長調 Op.9-2

●純ちゃん
ブラームス/ワルツ第15番 Op39-15 ラプソディ 第1番 Op79-1 間奏曲 Op118-2

ショパン/舟歌 嬰ヘ長調 Op.60



いずれも聞き応え充分な楽曲で楽しめましたが今回はお三方と言うことでそれぞれの持ち味、個性がいかんなく発揮されていたと思います。

当初は男3人のジョイントと言うウリで珍しいコンサートでしたが、前述のように都合で女性が入り少し違った雰囲気になった模様です。

でも男性側としてはそれはそれで嬉しい誤算と言ったところでしょうか。主宰の小川さんの演奏は鬼気迫るものがあり特にベートーヴェンのソナタ月光などは一楽章の深淵、三楽章の激昂した音色は作曲家の心に迫るものがあり私の好きな演奏でした。

ピアノ仲間の男性おふたりもさすがの演奏で、いっちゃんはアマチュアながらプロのふたりと共に過酷なステージを弾ききりました。

最近はコンクール等で実績を着実に重ねられているアマチュアピアニストさんですが、私としてはそこは特に注目しているところではなく実際にどのような演奏なのか色眼鏡なしで楽しみました。
アマチュアと言うことで実際に仕事も忙しいなか厳しいクラシック演奏の世界でがんばってられる姿はすごいと思うし、そんな姿を応援するファンも多く、みんなが応援したくなる気持ちが難曲の数々を一生懸命集中して弾く姿から伝わってきました。
プロのおふたりのなかでの演奏はプレッシャーも大きかったかと思います。でもあのような場で弾くと言うのはすごいことです。

特に純ちゃんとの連弾のハンガリー舞曲は息のあった演奏で素晴らしかった。

純ちゃんのソロは安定感あり、聞き応えあり、何より本人が楽しんでいることがよく伝わってくる演奏でした。
もうほんとにピアノを楽しんで弾いてるのがこちらまで気持ちよくさせてくれるんです。

そして今回特筆すべきは音色がとてもきれいだった点です。正直ピアノ自体はそんなにコンディション良くないと感じたのですが、それを感じさせない演奏だったのです。これはあるところまでいかないとできないことだと思うのですが、弱音がとても繊細で強音は割れず聴きやすく楽器を手なずけている感覚、そのような演奏はなかなか出会えないのです。


純ちゃんは今回の演奏会の一週間前名古屋の発表会的なイベントに参加されて、次の日にその足で私の南区の工房へきてくれたのですが、そこでお願いして弾いてもらった演奏よりも更にまた良く普段名古屋にきて弾く純ちゃんとはまた違ったプロとしての演奏を聴くことができ感激でした。

更にそのとき工房で、探していた懐かしい楽譜を見つけることができたと言うことでアンコールで弾いてもらえ、とてもよい流れができたことが嬉しいです。

そして更にはその楽譜はピアノ仲間のはなみずきさんのおじさんの遺品であり、時を超えて純ちゃんへのつながりができたことはほんとうに意味のあることだと思いました。


コンサート自体、こう、近づき難い突き放される感じはなく自分もピアノをもっと弾きたいと言う気持ちにさせてくれました。暖かいと言うか、気持ちのこもった演奏で音楽の魅力がとても伝わるコンサートだったかと思います。

ことあるごとに名古屋へきてくれて、名古屋のみんなの暖かさが好きだと言ってくれる純ちゃんのコンサートを大阪で聴くことができ良かったです。今度は時間を作り大阪の街と音楽仲間や人との出会いも楽しみながら出掛けたいと思います。

キーシンの音色の秘密

2011.10.30 Sun

10月の27日、待ちに待ったエフゲニー・キーシンのピアノリサイタルを聴きに愛知県芸術劇場へ行ってきました。

キーシンのリサイタルは20代前半の頃、勤めていた会社で先輩だったいちやんさんに連れられて行ったのがその出会いでした。

初めて聴いたときからあまりに衝撃的で以来10年あまり余裕のあるときは足を運んできました。

チケット代はアホみたいに高いのですが、毎回それを満足させる以上のものがありほんとうにきてよかったと思わせるピアニストのひとりです。


いつもはB席などをとったりしてたのですが、今回はこの日のためにとがんばって貯めA席をゲット。とてもS席までは手が出ませんが早めに予約したため下手側の正面よりやや斜めの位置を取れました。S席いつかはと思っています。

海外ではオペラやコンサート等、有名どころが信じらないくらい安い値段で買えたりするのですがこれはお国がらによるもので日本も文化的なことにもっとバックアップがあればと思います。そしたらたくさんの人に素晴らしい演奏に出会うチャンスがあるのにと高いチケットを見てはいつも思うのです。


とその話は置いといて、本題のキーシンですが今回特にいろいろと思うことがありました。



と言うのも若い頃に出会ったあのキーシンの比類なき音色の秘密について知る機会が今年はあったからです。


芸術劇場の3階席の隅々まで響きわたるあの音色。スタインウェイのピアノを鳴らしきるあのタッチ。

一体あの奥深いフォルテと繊細過ぎるくらいのピアノはいかにして出てくるのかみなが知りたがるところではないかと思います。


私も調律師と存在からその音色に魅了されその秘密を知ろうと追い続けてきました。調律をするうえでの目指す先はいつもその音色がありました。


あの音色がスタインウェイピアノにしか出すことができない音色であることはわかるのですが、誰もが弾いても出る音色ではない。いくつものコンサートへ足を運んでもそのようなピアニストは限られていると言うことは明らかでした。

※スタインウェイのピアノは最高のピアノだが、好き嫌いは別である。ホールでの演奏での客観的な事実ではこれ以上ないピアノと言う意味。野球で言えばジャイアンツが王道なのはわかるが、ドラゴンズが好きであると言う感覚にも通じる。誤解のないように記すが私はスタインウェイ至上主義者ではない。



そのように思っていたときに昨年あたりから一部のピアノ仲間で話題にのぼっていた”ロシア奏法”に出会うことができたのです。

このロシア奏法”こそがキーシンの音色に深く関わっていることを知り、あの完成されたピアノ奏法を解き明かす手がかりになりました。



現在の日本ではこのロシア奏法と言うスタイルは主流ではありません。私もピアノレッスンを受けていたときにそのような名称はおろか、その奏法について聞いたことは一度もなかったです。

いわゆるドイツ的な伝統に根ざした奏法と言うものが日本のピアノ教育の主流を占めているとのこと。

私はピアノの流派や奏法については詳しくないので聞いたことしかわからないのですが、世界にはそのような異なる流派がありどの先生につくかでその演奏法も変わってくるようです。



そのなかでもその”ロシア奏法”は現代ピアノに最もマッチする弾き方であると思われます。

堅牢なボディとペダル機能が可能にした豊かな響きを持つ現代ピアノの特性に合わせ、指や手に負担をかけず合理的かつ無理のない演奏ができるのです。


私の推測するに指を一本、一本独立させて指の筋肉を使って弾くドイツ的な弾き方では昔のチェンバロやクラヴィコードのような鍵盤の軽い古典楽器では軽快に弾けて良いのですが、現代の複雑なアクションを持つピアノでは長時間弾き続けることが困難であると思われます。

そういった意味でピアノから発せられる響きを聴いて音色を作るロシア奏法ではダンパーペダルを効果的に使うことにより、構造上ダンパーの重みが軽減され指に過度な負担をかけず弾くことができます。

バッハなどの古典をダンパーペダルを踏まずに弾くなどすることが広く認知されているドイツ的な弾き方では指の筋肉がよほどついていないと弾けなく、筋肉が付いていればいたで響きを殺す音になりがち。そしていつかは手や指を傷めることにつながるのかもしれません。


私自身もバッハはペダルなしで弾きなさいと教えられましたが、大人になって弾き始めたへっぽこピアノ弾きではどだい無理な話で一定の力で弾き続けることは困難で挫折感を味わったことを覚えています。


そのようなここ日本ではあまり認知されていないロシア奏法の伝授に努めている先生と知り合う縁があり、その一端だけでも触れられていることは思いがけない喜びなのです。


井戸の中にいるカエルはそこだけが世界の全てと思ってしまう。でもそこから出ることができれば果てしない世界が広がっていることに気付く。

そのような出会いでもありました。



さてそのような奏法に根ざした音色を持つピアニストキーシンですが、今回も期待を裏切らない演奏でした。

毎回思うのですが、リサイタルが始まり舞台に現れるとおじきを済ますとすぐに弾き始めます。イスの位置を何回も直したり、指の位置を確認したり、気持ちを落ち着かせたりと言うことはありません。

なのですぐに演奏にひきこまれるかと言うと私はそうではありません。一曲目などはならし運転なのかなと思わされます。

もちろんそれでも素晴らしいのですが、会場もまだざわつき感がありみなあまり集中できていないのを感じます。キーシンには迷いがまったくないのですが聴衆はさて今回はどうなんだろうと言う感じで聴いているのだと思います。少なくとも私はそうです。




オールリストプログラムの1曲目は”超絶技巧練習曲第9番、回想”

比較的ゆったりとした感じで響きを確かめているかのようでした。



そして2曲目、本題のピアノソナタロ短調。

このソナタは30分近くも切れ目なく演奏する長い曲で、これまでCDなどで何回も聴いているものの途中で集中力が切れどうでもよくなることが多くなるという作品(苦笑


ソナタと言うとおり同じような主題が何回も出てくるのですが、それがひとつの楽章に一貫されていると言う変わった特徴がある曲。
楽曲に対してそれほど詳しくはないのでへたなことは言えないですが、とにかく今回は最後まで集中力が切れることがなかったのはもちろんのこと、とにかく感動、感動でした。


キーシンの演奏は楽曲について、”この曲ってこういう構成になっていてこの音はこういう意味を持っていたんだ”と言うことを納得させられるのです。

リストの曲は派手で無駄な音が多いと言われることが多いのですが、キーシンのリストはひとつひとつの細かい音に至るまで無駄なものはなにひとつないんだと思わされます。

ピアノ本体の奥底から鳴り響く地球を震わせるような低音のフォルテ、それに乗っかるきら星や小鳥のさえずりを思わせる高音の繊細なピアノ。

それらを繰り返し目指すクライマックスへ、核心へ向かっていく。キーシンにはもちろんそれは見えているが聴衆はただただ圧倒され聴き惚れている。


そしてピアノ本来の音もだんだんと出てきて楽曲の頂点へ向けて加速していき頂上へ登りつめる。心が踊らされ、興奮し・・・  ああ、またしてやられたと思うのです。



ロ短調ソナタがひとつの長大な物語で、その喜びや悲しみに満ちた壮大な物語を聞いたあとのような満足感で満たされるのです。




キーシンの魅力はなんだろうと思ったときにその楽曲が持つ本質を見事に表現していると言う点があると思います。

先日、カワイでのロシアピアニズムレクチャーを聞いたとき、”キーシンより魅力的な音楽を演奏するピアニストは他にいるけれど、ピアノから出る音色の響きをとらえ演奏する点において若い神童と呼ばれたときよりずば抜けていたと言うことに置いて最高のピアニストである”と言うようなことを聞きました。

これはまさに私が感じていたことであり、そこでなにか自分のなかの疑問がとけたような気がしました。


どのような超絶的な楽曲でもなんなく弾きこなしてしまうキーシンはある意味機械的であるとか、感情のない演奏であると思う人もいるかもしれない。

しかし、演奏者の余分な感情を排し楽器から出る音に全てをゆだね、楽器が出す音が自然と音楽を作っていくというスタイルで見た点においては彼は究極のところにいるのだろうと思う。



これは調律の形の私の理想である、”調律師の存在が消え楽器そのものの音を引き出す”と言う考えに一致する。

人間なのでどうしてもその意思や感情が音に入りこんでしまうのであるけど、それを極力廃しその意思を込めるのは演奏者であると言う考え。

なので余分な感情のこもった音はその演奏者の表現を邪魔することになると考える。楽器が持つ本来の音色を引き出すのが調律師の目指すべき究極のところだと考えているのです。



調律の世界では必要なものだと考えているのですが、演奏の世界でもクラシックではあり得るだと最近感じるのです。

演奏者の感情や意図を極力排し、リストなどの作曲家が表現したかったことをそのまま現代のピアノで表現する。それはすべて楽譜に書いてあるのでそのとおり演奏すればそれが実現できる、と。

クラシック音楽が再現芸術と呼ばれる所以のところ。その極み。


その”再現芸術”の最高の極みの演奏がキーシンなのではないかと思う。


一見、過剰に思えるようなフォルテやピアノは演奏者の意図のようにも思えたりするけれど、奇をてらった部分はどこにもなくまさに正当的な楽譜に忠実な演奏と言える。

演奏者がそこにいないかのような感覚、作曲家が時空を超えて直接語りかけているようなそんな感覚になる。


なのでどんなに長時間聴いていてもくどくなく飽きがこない。

ぱっと聴き栄えがし耳を惹きつけられるような変わった演奏は最初はいい。そのうち甘ったるいケーキを何個も食べているような感覚に陥る。


キーシンの演奏はBGMのような何時間も聴き流しできるような音楽ではなく、時には過度な甘さも感じられる音楽であるにも関わらず、飽きがこない。


ともすれば楽譜に忠実な演奏は個性のないつまらない演奏と切り捨てられるおそれがある。キーシンの場合それを補えるあまりある音色があるから聴けるのかもしれない。だからCDよりも生演奏のキーシンの演奏のが格段に惹きつけられる。

ピアノそのものの基音ではないところ、倍音で音楽を作っているから。


失礼な話、音色に対しての感覚があまりないと退屈な演奏なのかもしれない。よく指が動き、完璧に演奏する、すごいねー、程度なのかもしれない。




後半になり更に音色に磨きがかかったように感じた。

それはピアノが鳴ってきたのか、ホールがピアノの響きになじんできたのか、後半になり自分の耳が研ぎ澄まされてきたのか、キーシンが弾き方を変えたからなのか、わからなかったけれどぽーーんっとホール全体に響きわたるなんとも言えないあの包まれるような音色に音楽の神が舞い降りたと舞台上のキーシンに感じられる場面がありました。

次元が違うと言ったらよいのか。



詩的で宗教的な調べより”葬送”

巡礼の年第1年”スイス”より”オーベルマンの谷”

巡礼の年第2年”ヴェネツィアとナポリ”より

ゴンドラを漕ぐ女、カンツォーネ、タランテラ



以前はアンコールだけで本番のプログラムに匹敵するような曲数を弾いたりしていたこともあったけれどほんとうにそのままずっとずっと聴いていたい感覚になる。


みな笑顔で幸せに溢れた顔で腕をあげ、立ち上がり、懸命に拍手を送り続ける。

お世辞や形だけの拍手じゃない心からの拍手を手が痛くなってもし続ける。


名古屋のコンサートでスタンディングやブラボーの声が出続けるのコンサートを私は他に知らない。

帰らせてたまるか、もっと弾いてくださいキーシン、とみなが拍手に願いをこめるのです。




愛の夢 第3番

ウィーンの夜会 第6番

献呈



ロシア奏法についてはさわりを聞いた程度なので詳しいことはわからないのですが、キーシンの弾き方を見てこれまでは気づかなかった独特な弾き方についても今回興味深かったです。

指だけでなく手や腕も使い合理的な力の入れ方で弾く。手の角度が違うためいわゆるドイツ式の弾き方よりも手自体が大きくみえる。よって指だけでなく手で支えているのがよくわかる。


フォルテを鍵盤を思いっきり押さえずに弾いたあとピアノから離している。

上半身を前後に揺らして弾くのも体重移動のためなのかなと。

合っているかはわからないけど、たしかにこれまで何か感じていたいくつかの違和感が少し明らかになってきたように思う。


クラシックと言うととかく古い伝統を守るのがよしとされる傾向がある。昔の楽器ならそれにあった奏法があった。

重くなった現代のピアノの鍵盤を無理やり力でねじ伏せようとする時代錯誤的な弾き方が未だ日本では主流となっていると言う。

それはクラシックが昔のままの姿をよしとする背景があるからかもしれない。楽器は劇的に変化しているにも関わらず・・


それを楽器メーカーが主体として勧めてきた”日本のピアノ文化”と言えばそうなのかもしれない。奏法だって他にもあり作曲家によっては合うものがあるのだろう。そのあたりについてはまったくの専門外だしまだわからない。

しかし響きを聴かずしてただただしっかりと鍵盤を押さえるような弾き方で響きを殺したような音楽では、少なくとも”クラシック”と言う分野の演奏においては感動することが私はないに等しい。


生真面目な日本人にはそれは合っているのかもしれない。僕の感覚は日本人のそれとは違うものがあると思う。日本のなかでは相当変わってると思うので。

でもそういう日本人的な感覚も含めてミスタッチを気にする人、音色にうるさい人、音楽の解釈に物申す人、等々演奏を聞くみなが納得するのが”キーシンの演奏”なのかもしれない。


”芸術家”と言うよりも”ピアニスト”と言う言葉がしっくりくる。

自分自身を表現する芸術家と呼ばれる演奏者は他にもたくさんいる。音楽的に魅力的な演奏をする人はたくさんいる。何もキーシンが最高と言うわけではない。

でもここまで感動させられるのは何かある。


ピアノと言う楽器がこの世に登場してから300年近く、時代とともに進化し続けもうこれ以上はないと言うところまできている。いやもうそのピークは過ぎているのかもしれない。

次はまったく別のものに進化するしかない。今のピアノはすでに完成されたものになっている。

その完成された現代ピアノの最高の奏者のひとりであるエフゲニー・キーシンはピアノの長い歴史の中の極みの存在なのだろう。

ピアノやその音楽はキーシンやロシア奏法の演奏者たちにより極められすでに完結している。




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